MEETRAVEL NOTE

ドイツ在住の日本人女子のブログ。大学院入学のため奮闘しています

本。本よ、心から、ありがとう。

これ以上の言葉は出ない。

頭の中ですごい量のドーパミンが発生していてぽっかぽか。

 

 

これは本のちからと私が毎日聞いているTEDのスピーチのおかげ。

 

5月に5か月間のフィリピンでの「魔法にかけられたファーム」での仕事。キラキラした人たちと関わりながら刺激的で毎日が学びと感動の毎日を過ごす、夢のような仕事からの帰国。

 

帰国してからは実家では廃人のような生活をしていた。

ドイツの大学院を目指して書類作成英語試験勉強に集中する為に数か月実家に住み家を手伝いながら手続きを進める事に決めたのは5月のはじめ。

 

かといってフィリピンでの生活、その前のドイツでの生活が刺激的すぎて、ただただひたすら、実家での生活が

 

 

 

慣れない。

 

 

というか、自分がおかしくなる。

そんな感覚で毎日を過ごしていた。

地元でいますぐ会いたい!寂しかった!

というような人も特にいない。

 

というか、地元に友達が数名しかいない。

 

そして感覚や経験をシェアしあって楽しめる人もここにはいない。

 

そういう事もあってずっと実家にこもってIELTSの勉強をしている。

 

 

そしてここ最近で特に嬉しかった事、というか自分を変えてくれるきっかけになった事がある。

 

近所のTSUTAYAにある古本コーナーの本のほとんどがなんと

 

100円なのだ。

 

 

超がつく程どけちな性格がどうもぬけない私にしてみればこんなにテンションが上がる話はない。

 

 

にやにやしながら何冊も私の腕につまれた本を持って帰る。

 

フィリピンやドイツにいる時はどうも本を読む事に時間を費やす事が出来ていなかった私。(今考えたら完璧な言い訳。本当にもったいない。)

 あっちにいる時から、早くおもしろくて為になる本を安く買いたいな、特に池上彰さんの本読みたいなあああ

帰国したら絶対アマゾンで安く買ったろ(^^)

 

と思っていました。

 

 

そしてTSUTAYAでまさかの。

池上彰さんの本があるではないか。

 

 

そして値段を見ると

 

 

 

 

100円。

 

 

 

キラーン。こんなに幸せな事はない。

 

家に帰り、まずは彼の本を。

「世界から格差がなくならない本当の理由」

 

 

フィリピンで危機的貧困に取り組む活動を現地でしていた私。

そこには世界、そして日本における貧困の危機的状況を端的に、こんな私でも理解が出来るよう、そして、もっともっと知りたい!と思わせてくれるような内容でまとめられていた。

 

そして、私の本へのドーパミンは一気に抽出され、

そこにカウンターをくらわしてくれたのが、

井上裕之さんの

「「学び」を「お金」に変える技術」

これとその時毎日聞いていたTEDのスピーチ。

これが本の楽しさと読む事の重要性を私に刷り込ませてくれた。

 

そして今読み終わったのがあの茂木健一郎さんの

「脳を活かす勉強法」

 

これが今あたしの頭をポッカポカにしてくれている。

 

「すべては頭の中身の使い方なんだ」

「変人でよかったんだ」

「時間の使い方」

「とにかく脳が喜ぶ刺激を出してあげてそれをうまく活かす」

 

おおまかにいうとそんな事を教えてくれた。

 

 

今私は「自分自身に投資する事の出来る時間」をとてもたくさん持っている。

すこし多すぎるくらい。

 

それを調節して、計画して、いつもわくわくしながら

 

今のこのわくわくを忘れずにいきたい。

 

 

最低3日に1冊は読み終わる事にします。

 

本よ、ありがとう。

 

これからもよろしく。

 

 

 

 

 

 

 

The road to...

どうしていいのか分からなくなって、親や友人に相談するのだけど、その瞬間はすかーっとなんとも言えない爽快感とやる気に満ち溢れて世界が明るく見えたように思うのだけれども、ふと一人になった時に、また振り出しに戻る。

 

そんなときに、言い聞かせる。

今持っているものを、大切に大切に。

今経験しているこの貴重なものを、カタチに。無駄にしない。

 

となりの人を、見よう。

世界を助ける前に、隣の人を助けよう。

 

弱い自分を、受け入れよう

少し沈んで、溜まってたイロイロなものを涙と一緒に流して、また自分が好きな自分でいれる生活をしよう

自分がキライで自信がない時の自分は、周りを責めがち。

よく環境のせいにする。

そのたびに気づく、あ、今自分の事に自信がない自分になっている。と。

 

まわりとの比較やなにに焦っているのかわからない 焦り 

なにかに追われてるわけてもないのに

 

まわりのせいにしない

 

自分自身が

 

どう毎日を生き切るか

 

優しく、芯を強く

 

Be happy with what you have.

Do not be unhappy with what you don't have.


f:id:saonyan1013:20161028042615j:image

 

「たまたま」

「たまたま」住むことにした、ライプツィヒ。ベルリンは、私にとって長く生活するにはカオスすぎて、レベルが高かったので、色んな友人が、おすすめしてくれ興味だけで住むことにした、ライプツィヒ

ここで大学院の準備と、アルバイトかインターンかボランティアをしようと、「たまたま」移り住んできた。

ドイツの部屋探しサイトで「たまたま」見つけた部屋。ライプツィヒに移る3日前にたまたま返事をくれた、この家に決定。

 スカイプでしか部屋見てないけど、まぁいいや。

 

 

 

 

 

 

 

行ってみると、そこはライプツィヒの中でも、ヒッピーやアーティスト、ライプツィヒの学生が混在しているヒッピー通りで有名な、「アイゼンバーン通り」。

 



ドイツに来てから、ベルリンですらも日本人の友達がいなかった。(泣)

ライプツィヒにはさらに日本人が少ない。

 

 

 

先週のとある日、家に帰ろうとアイゼンバーンを歩いていると、何やら日本語が聞こえる!!

 

 

 

 

 

 

 

 

思わず振り返ると、上半身裸の放浪人のような男性二人と女性らしい一人がトラム(路面電車)を待っていました。

思わずテンションが上がり、

日本人の方ですか!何をされてるんですか?😆

 

 

 

と話しかける。

するとみなさんめちゃくちゃいい方で、実は彼らはアーティストさんということ。

すると、

 

 

 

 

 

『アイゼンバーン通りのすぐそこの「日本の家」でアートのトークセッションと、ちょうど今日が最終日でパレードもやるから来なよー!』

 

 

 

 

 

 

 

………

 

 

 

 

 

 

に、に、「日本の家」?!?!

 

 

 

 

 

 

😲😆😂😱😍

 

 

 

 

 

 

 

 

 

にほんのいえ  ですって!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

Natürlich Warum nicht!!!!!!!!!!😆

 

(Of course why not!!!!!!!!)

 

(行かない理由はないやん!)

 

 

 

 

 

 

と、てくてくついて行くと

 

 

 

そこにはたくさんの人達がわいわいがやがや…

 

 
f:id:saonyan1013:20160914194427j:image


f:id:saonyan1013:20160914194352j:image

 

 
f:id:saonyan1013:20160914194039j:image

 

『Das  Japanisch Haus !!!!!!!』

 

 

 

 

日本の家!!

 

 

 

 

 

 

 

もうテンション上がりまくりです。

ドイツの文化や生活、歴史を勉強したくて旅をしているけれど、

 

やはり生まれた故郷はいつでも恋しくなるものです。

 

 

 

そしてそのアーティストさんに色んな方を紹介してもらいわいわいがやがや話をしながら、

 

拠点はここアイゼンバーンなんですか?

 

 

なんて初対面の会話をしていると、

 

 

 

 

 

 

『ここの人ら、沖縄が拠点なんだよね、ほら、こいつも沖縄出身だよ』

 

丶丶丶

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お き な わ !!!

 

 

 

 

 

 

 

なんということでしょうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まさか、

 

 

『たまたま』直感だけでやってきたライプツィヒで、

 

 

 

直感だけでネット上で決めた家の、すぐ目の前の通りに、

 

 

 

 

 

ライプツィヒにたった一つの 日本の家

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこでまさかの、日本だけでなくその中でも

 

 

 

おきなわの繋がりに

 

 

 

 

 

 

 

 

出逢うだなんて!!!

 

 

 

 

 
f:id:saonyan1013:20160914195723j:image

 ライプツィヒの街並み。

いいところでしょ。

 

 

 

ほんとに旅には何が起こるか分かりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当にこれでよかったんだろうか」

 

 

 

 

なんてどんよりしていると、新しい人や場所に出逢い、刺激や情報をもらい、次の日には誰よりもピンピンした爽やかな顔をしていることがありますよね、誰にでも。

 

 

 

 

 

 

最近はここに来た目的を忘れかけてずるずるしかけていましたが、毎日生活していると、例えば食の安全性や意識の違い、常に難民と共存していること、異なる宗教、とにかくいろーーんな事と向き合い、受け入れ、

共存しているものがとにかく多い!

 

とつくづく感じます。

うまく言えないけれど、

 

 

 

ここに来た理由は、ヨーロッパ特にドイツでのHuman rights (人権)とSocial work(社会活動) 、関連の事について一年もしくは二年専門的に大学院で勉強しその後もかかわっていきたいということ。締め切りまで時間がありわけではないので焦っていますが。

 

 

 

ドイツはボランティア大国です。

 

 

 

 

 

生活や教育の中に当たり前にボランティアが存在します。

 

 

 

 

例えば、ドイツで大学を卒業した後の進路は

大体2つに分かれます。

 

就職か、

 

 

 

 

1年ボランティア、社会活動か。

 

 

 

人間性の構築やや社会をみる上で、すごく画期的なシステムだなぁと思います。

 

例えば自国や他国で災害などが起こったら、日本はまず自衛隊を派遣します。

日本が自衛隊を派遣している間、ドイツは、一般市民から志願者を募り、派遣します。

 

 

詳しくは分からないけど、

ドイツは、市民が主役感 がすごくあります。

国や世界の現状に大反発したり、社会の裏側をそのまま描いたメッセージ性のとても強いHIPHOPやMV も全然リリース出来ます。

 

出来ます、というかそれが当たり前なのだろうけど…

 

 

日本でこれをやると一体どうなってしまうのだろう、ということがたくさんで感心することばかり。

 

 

 

 

 

 

ここに住んでると、普通に難民の友達もたくさん出来るし、ごりごりイスラムの友達もたくさんいる。

難民キャンプもすぐそばにいくつもあるし、その中の問題も山積みらしい。

 

 

 

 

来る前はなにも想像もつかなかった。

 

 

 

「難民」。

 

 

 

 

来てみると、当たり前にしょっちゅう出会うし、友達にもなるし、とにかく想像出来ないほどたくさんいる。

毎日新しく難民が来るから。

 

 

 

 

来る前は想像もつかなかった。

 

 

 

 

ベルリン時代のドイツ語クラスで初めて、シリアの子とめちゃくちゃ仲良くなり、彼の話を聞いて初めて、なんとかしたい、この現状つたえなきゃ。と率直に思った。

 

 

 

 

今、自分になにか出来ているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうして

 

 

 

 

 

5人の友達が道端でま隣で殺され、

 

自分自身も3発の銃弾を浴び足が不自由になり、

 

 

 

 

家も失い、親戚も失い、

 

 

 

 

 

帰れる故郷がない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

というのに、

 

 

毎日すこぶるの笑顔で、ちょっかいをかけ、

 

 

クラスを一番に盛り上げ、冗談をすっ飛ばし

 

 

からっからの笑顔で、

 

 

じゃーね、また明日!

 

 

と言って生活が出来るのか

 

 

 

 

 

 

どんな強さを持って、生活しなければいけないのか。

 

 

わたしには想像がつかない。

 

 

だからこそ、そんな環境にあるドイツで、絶対に目的を見失いたくないし新たな発見や情報の中で判断し行動することを、続けたい。 

 

 


f:id:saonyan1013:20160914203315j:image


f:id:saonyan1013:20160914203619j:image

 

 

9月中盤にさしかかっているにもかかわらず、32℃に到達してしまっているライプツィヒ

 

夏はもう少し、続きそうです。

 

ちょっと真面目な「個々」のはなし。

ドイツにいると、日本との「個々」の違いを至るところで感じます。

 

 

ドイツ(ほぼ大半のヨーロッパ諸国)には、いわゆる日本でいう「部活」というものが存在しない。
スポーツにおいてのジュニアクラブチームなどはもちろん盛んですが、日本のように授業が終わると同時に部室へ走り、毎日日が暮れるまで仲間たちと共に汗をかき同じ釜飯を食べる、的な環境がないのです。
要するに、アメリカスタイル。
それが、ここにはない。

 

 

 

 

小さな頃から授業が終わると自分たちのしたいことをする。個々がそれぞれ、興味のある事をし始める。
=「仲間意識」<「個々意識」

自然にこの方式が出来上がる。

 

 

 

これは日常あらゆる場面で垣間見えるコトで、例えば私がTRAMに乗っていると、小学生中学年くらいの子たちが男女関係なく大勢で乗ってくる。

すると個人がそれぞれに好きな場所に座るなり、立つなり(それぞれの場所が離れていても)して、それぞれの事をする。誰も何も言わない。


f:id:saonyan1013:20160829093747j:image

 これがTRAM。イケてる路面電車

 
f:id:saonyan1013:20160829093843j:image
乗り降り。

 

 

 

日本だと、どうでしょう。
小学生くらいの年頃の子たちは、仲間意識が芽生え、グループが自然に作られ、そのグループと同じ事をしていないと、というような異常なまでの「輪」を作りたがるのではないでしょうか。
なぜなら、少しでも「外れた」事をすると、それこそグループから外され、イジメられるから。

 

 

 

 

私自身も実際に何度か経験した。小学校、中学校。
中学校では、いつも一緒にいたグループの子に連れションに誘われ、断ると次の日からクラスのほとんどの女子から無視された。
教室の後ろのストーブの周りに八割の女子が集まり、私は彼女らに指をさされながらひたすら毎日悪口を言われた。

 

 

 

グループの中に所属していないと、次の獲物になるという不安が誰にでもあると思います。日本では。

 

私が小学中学校の頃からもう15年も経つので今の子どもの感情は分かりませんが…。

 

 

 

 

 

そういった面では、ヨーロッパでは子どもの時代から、まず根源の感覚が違うように思います。

個々がそれぞれで成長しているので、グループだとかは関係ないのです。なので、誰かが少し変わったことや予想外の行動を取っても、それはそれ。僕は僕、わたしはわたし。という感覚です。

 

 

 

 

 

 

ある時、ベルリンのローカルの友達と高校時代の話になりました。私は中学校、高校はひたすら部活にあけくれ、中学校ではコンクールの為に半虐待的で過激な(笑)、高校では日本一の部活になるという目標で毎日休まず仲間たちと共に多くのルールの中で打ち込んでいた、という話をしました。

 

 

彼は全く理解出来ていませんでした。笑

どうして、少し人と違う風に「制服」を着たからと言って(制服というものがまずないので想像がつかない)、ゲームセンターに行ったからといって、皆が練習をやめてミーティングをしなければいけないの?笑 と。どうして仲間はずれになるの?

そういう文化はドイツにはないね。笑

と言われました。

 

 

 

 

 

そりゃそうでしょう。
ドイツにはナチス・ドイツというおぞましい歴史があります。
そこからドイツ、ヨーロッパ諸国の人達は学んでいます。
そこからいわゆる「軍隊的な」教育は行わず、個々を尊重し育てる、という方向で一貫しているのだと思います。 

 

 

 

 

 学校での教育も大きく異なります。

 

 

 

日本は、昔は詰め込み教育だったという反省から、「ゆとり教育」が始まりました。しかし始まったかと思えば、学力が下がったと声が上がり、ふたたびゆとり教育の見直しがされました。

この何年かで国対抗テストでのランクは落ちたものの、フィンランド。この国は日本と全く違うシステムと授業数が格段に少ない、という中で常にトップのレベルにいます。
要領と質、です。

 

 

 

果たして国対抗の国際学力テストで、日本はどこにいるかというと、2000年から順位は上ったものの、アジアの中ではすべての部門で中国上海がダントツのトップ、香港、シンガポール、韓国と続き日本。

 

 

中国や韓国、彼らと日本人の一人ひとりの教育についての感覚がまず大きく異なることも大きいと思いますが…

 

 

話が飛んでしまいました。

 

 

 

 

とにかく、幾分かは日本の教育の中にもアメリカアメリカではなく、ヨーロッパのシステムに目を向けてみると全く変わった結果が至るところで出て来るのではないのかなぁ、と思います。

 

 

 

 

 

つい最近、英語学習が5年生から必須授業になりました。

個人的に、幼い頃から英語を学ぶのは良いことだし若ければ若いほどいいと思います。

 

ただ、今の国や一部の学校の先生を見ていて、どれだけ早い時期から必須としてやっても、充実した中身がないと全く意味がないのでは…と強く思います。

 

 

なぜなら私個人が、中学高校(小学校の英語の塾含め)の英語の時間が、

 

 

びっくりするくらい

 

 

 

 

 

 

つまらなかった からです。

 

その時は誰一人、教えてくれなかった。

 

 

 

 

 

英語そのものではなくて、英語に慣れる事で、世界がどう変わるか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と言う事を。

単純に、それが1番大切な事なのではないかな

と今、外に出て思うのです。

 

 

 

話がとんとんと飛んでしましたが、あらゆる場面で、考えや行動の根本的な違いをまざまざと教えさせてくれるヨーロッパ生活。

 

 

 

先日引っ越してきた、新しい街ライプツィヒも学生の街ということもあり、とても活気に満ちあふれていて美しい街です。

ここにも歩けば歩くほど、目を向けば向けるほど、新しく知るもの、習慣の違い、宗教、人、歴史 がわんさかあります。

 


f:id:saonyan1013:20160829094427j:image
f:id:saonyan1013:20160829094551j:image


毎日が記事の宝庫です。

 

 

ということで次はベルリンの話なんか書こうかなと思います。

長くなりましたが、では。

 

Jet lag...

なんにも知らない方が、いい時もある。

なんにも知らずに、ただがむしゃらになってやればいい時もある。

 

ただ、新たな情報を仕入れた時。、それをどううまく処理をして自分のチカラにするかどうか。

 

自分はひとりぼっちだ。

頭が悪いから協力のしてもらい方もたまに分からない。

 

この暗い時間が嫌いだ。

 

面と自分の弱さと空っぽさに向き合わされる、この空間が、嫌いだ。

 

もっと面白いことをしたい。

 

 

いいわけはしない。

決意。不安。人生。

いきなり、ずどーんとしたtitleでごめんなさい。(笑)




最近のベルリンでの出来事や想いを更新しようと思ったけれど、あまりにもここ何週間、悩みすぎていて、ただ音楽が流れるだけで涙がボロボロボロボロ溢れてくる日々が続いているので(笑)、ばーっと書こうと思います。


















何のためにここにやって来たのか。






正直なところ。

→→→

今まで日本ではみたことがなかったドイツの民主主義や東西ドイツの歴史や教育システムを深く勉強しようと思った。そしてそれを多くの人につたえる側に立ちたいと強く思った。




自分の育った国日本とははるかに全く違うものがここにはあると思ったし、来ないと感じられないし、真の意味で様々な事を心に得ることは出来ないと思った。

これは旅をしていていちばん強く思ったこと。





そしてドイツはワーホリビザが取れるではないか。






だから、お金貯めて、ここに来た。





一年間でドイツ語の基本と英語の向上そして大学院入学の為の様々な準備をするつもりで来た。








旅立つ前は、覚悟は十分だと思っていた。











色々な人と出会えば出会うほど、自分のやる気だけが向上するものだと、旅の経験から、思っていた。



人と出会う自信だけは、あった。










そして実際にたくさんの素晴らしい人たちやクラスメイトに出会い、繋がっていく。

















しかし、今までにない現象がわたしを悩ませることになる。










素晴らしい人に出会えば出会うほど、












不安になる。












「自分は、一体なんなのか」



「ここにいる揺るがない理由はなにか」












「本当は何がしたいのか」










今まで果たして自分は、CV(履歴書)に書け、審査員を納得させられるような事をなにかしてきたのか。










そして気づけば今年で28歳…😔😔😔














--------------------


と、こんなスーパーネガティブな事ばかり考えて、「やはりこの中途半端な気持ちのまま、どこかに頑張って就職をすべきなのか」







とこれからの自分の道しるべの境目でスタックになっていました。


ドイツに来たはいいけど、、的な。汗汗








気付けば自分の事が大嫌いな自分になっていた。





自分の事が大好きな瞬間を持っている自分は知っている。







ただ最近はそれを感じる事がなくなった。












友達や彼にも相談するけど、話した途端涙がボロボロボロボロ。。そんな自分も嫌になり、大丈夫大丈夫と言ってかかえる。



そして、溜る。




ネガティブの連鎖。



















けど、ここで諦めるわけにはいきません。 
















色んな人に、何が彼らをベルリンにこさせたのか、仕事はどんなでどんな勉強をしていて、ビジョンとかってあるのか。彼らのバックグラウンドはどんななのか。聞きまくろうと思いました。






そして初めて、クラスメイトに、悩みすぎてパンクしかけていることを話しました。








すると、言葉に出来ないような安堵感と、確信と、ここにいる事が少なくとも間違いではないことを、ずっしりと感じました。









アウトプットが下手くそすぎる、自分。
容量がスーパー悪い、自分。








ただ、みんな不安。自分が出来るかどうか、いつも不安。他人とだって比べる。








だったら、これと決めて、自信を持って、取り組めばいい。




自分が、容量が悪いと思えば、人の2倍3倍頑張って、自分に適した方法を見つければいい。









そこまで深く全てについての意味とか、定義とか、考えて追求する必要はない時もあるんだな、と思います。







シンプルに。










焦りと不安がだいぶ、なくなりました。









今は、人と会う事、人を知ることが自分の背中を押してくれていると、心から感じられます。













もし今、なにか心にひっかかってる事や、やるべきなのか、やめとくべきなのか、このままでいいのか、決断で困ってる人がいたら。とにかく、ありのままを人に話すことで本当に楽になると思います。
もちろんそんな事誰もが分かってるけど、何か小さい恥とかプライドとかで表に出してないこと、ありませんか。
もやもやしてるけどなんて言葉にしたらいいか分からないから、まぁいいや、とか。


そんなことも全部含めて、とにかく話すこと、書くことが、大きな変化に繋がると思います。










わたしは来年の4月から必ずヨーロッパの大学院へ行けるように、急ピッチで準備を進めていこうと、新たに決意をしました。

かなり厳しいのは承知のうえ。



ただ、挑戦をして、必ずそのフィールドに身を置いて、次のキャリアに繋がる、人につたえられる、そこまでたどり着きたい。








分野が2つ、とても迷います。。。


ただ、卒業学科とかかわりがかなり薄いとなると、どうしましょう!

これから大谷大学や教授にコンタクトを取って詳しく進めていきます。



-----------------------------------------




最後に、偶然フェイスブックで見つけた大学生のおんなの子が書いていた言葉がなんでだかかなり胸に響き深い共感と共に涙がぽろーしたので、シェアします。














「ほんとうに純粋なものは
ほんとうに透明なものは





けっして言語化できない。




言葉なんかでは言い表せない。












でもけっして言語化できない





"それ"を



絶対つたえられない言葉で表現する。














それがわたしのしたいこと。」


------------------------------------------------------------