MEETRAVEL NOTE

ドイツ在住の日本人女子のブログ。大学院入学のため奮闘しています

ちょっと真面目な「個々」のはなし。

ドイツにいると、日本との「個々」の違いを至るところで感じます。

 

 

ドイツ(ほぼ大半のヨーロッパ諸国)には、いわゆる日本でいう「部活」というものが存在しない。
スポーツにおいてのジュニアクラブチームなどはもちろん盛んですが、日本のように授業が終わると同時に部室へ走り、毎日日が暮れるまで仲間たちと共に汗をかき同じ釜飯を食べる、的な環境がないのです。
要するに、アメリカスタイル。
それが、ここにはない。

 

 

 

 

小さな頃から授業が終わると自分たちのしたいことをする。個々がそれぞれ、興味のある事をし始める。
=「仲間意識」<「個々意識」

自然にこの方式が出来上がる。

 

 

 

これは日常あらゆる場面で垣間見えるコトで、例えば私がTRAMに乗っていると、小学生中学年くらいの子たちが男女関係なく大勢で乗ってくる。

すると個人がそれぞれに好きな場所に座るなり、立つなり(それぞれの場所が離れていても)して、それぞれの事をする。誰も何も言わない。


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 これがTRAM。イケてる路面電車

 
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乗り降り。

 

 

 

日本だと、どうでしょう。
小学生くらいの年頃の子たちは、仲間意識が芽生え、グループが自然に作られ、そのグループと同じ事をしていないと、というような異常なまでの「輪」を作りたがるのではないでしょうか。
なぜなら、少しでも「外れた」事をすると、それこそグループから外され、イジメられるから。

 

 

 

 

私自身も実際に何度か経験した。小学校、中学校。
中学校では、いつも一緒にいたグループの子に連れションに誘われ、断ると次の日からクラスのほとんどの女子から無視された。
教室の後ろのストーブの周りに八割の女子が集まり、私は彼女らに指をさされながらひたすら毎日悪口を言われた。

 

 

 

グループの中に所属していないと、次の獲物になるという不安が誰にでもあると思います。日本では。

 

私が小学中学校の頃からもう15年も経つので今の子どもの感情は分かりませんが…。

 

 

 

 

 

そういった面では、ヨーロッパでは子どもの時代から、まず根源の感覚が違うように思います。

個々がそれぞれで成長しているので、グループだとかは関係ないのです。なので、誰かが少し変わったことや予想外の行動を取っても、それはそれ。僕は僕、わたしはわたし。という感覚です。

 

 

 

 

 

 

ある時、ベルリンのローカルの友達と高校時代の話になりました。私は中学校、高校はひたすら部活にあけくれ、中学校ではコンクールの為に半虐待的で過激な(笑)、高校では日本一の部活になるという目標で毎日休まず仲間たちと共に多くのルールの中で打ち込んでいた、という話をしました。

 

 

彼は全く理解出来ていませんでした。笑

どうして、少し人と違う風に「制服」を着たからと言って(制服というものがまずないので想像がつかない)、ゲームセンターに行ったからといって、皆が練習をやめてミーティングをしなければいけないの?笑 と。どうして仲間はずれになるの?

そういう文化はドイツにはないね。笑

と言われました。

 

 

 

 

 

そりゃそうでしょう。
ドイツにはナチス・ドイツというおぞましい歴史があります。
そこからドイツ、ヨーロッパ諸国の人達は学んでいます。
そこからいわゆる「軍隊的な」教育は行わず、個々を尊重し育てる、という方向で一貫しているのだと思います。 

 

 

 

 

 学校での教育も大きく異なります。

 

 

 

日本は、昔は詰め込み教育だったという反省から、「ゆとり教育」が始まりました。しかし始まったかと思えば、学力が下がったと声が上がり、ふたたびゆとり教育の見直しがされました。

この何年かで国対抗テストでのランクは落ちたものの、フィンランド。この国は日本と全く違うシステムと授業数が格段に少ない、という中で常にトップのレベルにいます。
要領と質、です。

 

 

 

果たして国対抗の国際学力テストで、日本はどこにいるかというと、2000年から順位は上ったものの、アジアの中ではすべての部門で中国上海がダントツのトップ、香港、シンガポール、韓国と続き日本。

 

 

中国や韓国、彼らと日本人の一人ひとりの教育についての感覚がまず大きく異なることも大きいと思いますが…

 

 

話が飛んでしまいました。

 

 

 

 

とにかく、幾分かは日本の教育の中にもアメリカアメリカではなく、ヨーロッパのシステムに目を向けてみると全く変わった結果が至るところで出て来るのではないのかなぁ、と思います。

 

 

 

 

 

つい最近、英語学習が5年生から必須授業になりました。

個人的に、幼い頃から英語を学ぶのは良いことだし若ければ若いほどいいと思います。

 

ただ、今の国や一部の学校の先生を見ていて、どれだけ早い時期から必須としてやっても、充実した中身がないと全く意味がないのでは…と強く思います。

 

 

なぜなら私個人が、中学高校(小学校の英語の塾含め)の英語の時間が、

 

 

びっくりするくらい

 

 

 

 

 

 

つまらなかった からです。

 

その時は誰一人、教えてくれなかった。

 

 

 

 

 

英語そのものではなくて、英語に慣れる事で、世界がどう変わるか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と言う事を。

単純に、それが1番大切な事なのではないかな

と今、外に出て思うのです。

 

 

 

話がとんとんと飛んでしましたが、あらゆる場面で、考えや行動の根本的な違いをまざまざと教えさせてくれるヨーロッパ生活。

 

 

 

先日引っ越してきた、新しい街ライプツィヒも学生の街ということもあり、とても活気に満ちあふれていて美しい街です。

ここにも歩けば歩くほど、目を向けば向けるほど、新しく知るもの、習慣の違い、宗教、人、歴史 がわんさかあります。

 


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毎日が記事の宝庫です。

 

 

ということで次はベルリンの話なんか書こうかなと思います。

長くなりましたが、では。