「たまたま」
「たまたま」住むことにした、ライプツィヒ。ベルリンは、私にとって長く生活するにはカオスすぎて、レベルが高かったので、色んな友人が、おすすめしてくれ興味だけで住むことにした、ライプツィヒ。
ここで大学院の準備と、アルバイトかインターンかボランティアをしようと、「たまたま」移り住んできた。
ドイツの部屋探しサイトで「たまたま」見つけた部屋。ライプツィヒに移る3日前にたまたま返事をくれた、この家に決定。
スカイプでしか部屋見てないけど、まぁいいや。
行ってみると、そこはライプツィヒの中でも、ヒッピーやアーティスト、ライプツィヒの学生が混在しているヒッピー通りで有名な、「アイゼンバーン通り」。
ドイツに来てから、ベルリンですらも日本人の友達がいなかった。(泣)
ライプツィヒにはさらに日本人が少ない。
先週のとある日、家に帰ろうとアイゼンバーンを歩いていると、何やら日本語が聞こえる!!
思わず振り返ると、上半身裸の放浪人のような男性二人と女性らしい一人がトラム(路面電車)を待っていました。
思わずテンションが上がり、
日本人の方ですか!何をされてるんですか?😆
と話しかける。
するとみなさんめちゃくちゃいい方で、実は彼らはアーティストさんということ。
すると、
『アイゼンバーン通りのすぐそこの「日本の家」でアートのトークセッションと、ちょうど今日が最終日でパレードもやるから来なよー!』
………
に、に、「日本の家」?!?!
😲😆😂😱😍
にほんのいえ ですって!!!
Natürlich Warum nicht!!!!!!!!!!😆
(Of course why not!!!!!!!!)
(行かない理由はないやん!)
と、てくてくついて行くと
そこにはたくさんの人達がわいわいがやがや…
『Das Japanisch Haus !!!!!!!』
日本の家!!
もうテンション上がりまくりです。
ドイツの文化や生活、歴史を勉強したくて旅をしているけれど、
やはり生まれた故郷はいつでも恋しくなるものです。
そしてそのアーティストさんに色んな方を紹介してもらいわいわいがやがや話をしながら、
拠点はここアイゼンバーンなんですか?
なんて初対面の会話をしていると、
『ここの人ら、沖縄が拠点なんだよね、ほら、こいつも沖縄出身だよ』
丶丶丶
お き な わ !!!
なんということでしょうか
まさか、
『たまたま』直感だけでやってきたライプツィヒで、
直感だけでネット上で決めた家の、すぐ目の前の通りに、
ライプツィヒにたった一つの 日本の家
そこでまさかの、日本だけでなくその中でも
おきなわの繋がりに
出逢うだなんて!!!
ライプツィヒの街並み。
いいところでしょ。
ほんとに旅には何が起こるか分かりません。
「本当にこれでよかったんだろうか」
なんてどんよりしていると、新しい人や場所に出逢い、刺激や情報をもらい、次の日には誰よりもピンピンした爽やかな顔をしていることがありますよね、誰にでも。
最近はここに来た目的を忘れかけてずるずるしかけていましたが、毎日生活していると、例えば食の安全性や意識の違い、常に難民と共存していること、異なる宗教、とにかくいろーーんな事と向き合い、受け入れ、
共存しているものがとにかく多い!
とつくづく感じます。
うまく言えないけれど、
ここに来た理由は、ヨーロッパ特にドイツでのHuman rights (人権)とSocial work(社会活動) 、関連の事について一年もしくは二年専門的に大学院で勉強しその後もかかわっていきたいということ。締め切りまで時間がありわけではないので焦っていますが。
ドイツはボランティア大国です。
生活や教育の中に当たり前にボランティアが存在します。
例えば、ドイツで大学を卒業した後の進路は
大体2つに分かれます。
就職か、
1年ボランティア、社会活動か。
人間性の構築やや社会をみる上で、すごく画期的なシステムだなぁと思います。
例えば自国や他国で災害などが起こったら、日本はまず自衛隊を派遣します。
日本が自衛隊を派遣している間、ドイツは、一般市民から志願者を募り、派遣します。
詳しくは分からないけど、
ドイツは、市民が主役感 がすごくあります。
国や世界の現状に大反発したり、社会の裏側をそのまま描いたメッセージ性のとても強いHIPHOPやMV も全然リリース出来ます。
出来ます、というかそれが当たり前なのだろうけど…
日本でこれをやると一体どうなってしまうのだろう、ということがたくさんで感心することばかり。
ここに住んでると、普通に難民の友達もたくさん出来るし、ごりごりイスラムの友達もたくさんいる。
難民キャンプもすぐそばにいくつもあるし、その中の問題も山積みらしい。
来る前はなにも想像もつかなかった。
「難民」。
来てみると、当たり前にしょっちゅう出会うし、友達にもなるし、とにかく想像出来ないほどたくさんいる。
毎日新しく難民が来るから。
来る前は想像もつかなかった。
ベルリン時代のドイツ語クラスで初めて、シリアの子とめちゃくちゃ仲良くなり、彼の話を聞いて初めて、なんとかしたい、この現状つたえなきゃ。と率直に思った。
今、自分になにか出来ているのだろうか。
どうして
5人の友達が道端でま隣で殺され、
自分自身も3発の銃弾を浴び足が不自由になり、
家も失い、親戚も失い、
帰れる故郷がない
というのに、
毎日すこぶるの笑顔で、ちょっかいをかけ、
クラスを一番に盛り上げ、冗談をすっ飛ばし
からっからの笑顔で、
じゃーね、また明日!
と言って生活が出来るのか
どんな強さを持って、生活しなければいけないのか。
わたしには想像がつかない。
だからこそ、そんな環境にあるドイツで、絶対に目的を見失いたくないし新たな発見や情報の中で判断し行動することを、続けたい。
9月中盤にさしかかっているにもかかわらず、32℃に到達してしまっているライプツィヒ。
夏はもう少し、続きそうです。